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次回企画のお知らせです
箱根菜の花展示室にて
三上亮
思索の痕跡
陶とドローイング
2022年4月29日(金)~5月8日(日)
11:00-17:00
4日(水)定休
作家在廊 4/29 5/1 5/3 5/5 5/7 5/8
三上さんとの付き合いは長いが、今回は三上さんの希望で初めてこういうテーマで、まとめて発表してもらうことになった。
やきものは窯で焼成するから窯が無いとできないし、窯の中に収まらねばならない。また、うつわは用途性をクリアしなければならない。そういう枠を外すと、陶の世界がどれくらい広がるか、枠を外していくところがおもしろいという。
メインの野焼き作品は、地面を掘って型にして、その場で800度くらいで焼き、上にまた土を重ねて焼く、というのを繰り返して成形していったそうだ。口元には枠にした鉄線が、そのまま残してある。同じ地面で焼いていると地面とうつわの裏面がどんどん赤く、良くなっていくらしい。使うことを考えずに作っているとうつわの形になっていったのだという。
オブジェを作りたい、というのではなく日常だと話された。例えば海辺を歩いていておもしろいなと石を拾う。山で粘土を見つけて握ってみる。葉を一枚採ってドローイングする。など。
今回初めて聞いたが、ドローイングは彼のバックにいつもあって、同じ地平で陶をやっていることを見せたいと言われる。
普通の絵の具ではなく、白など様々な綺麗な生の粘土、野焼きの灰のグレー、油煙や松煙の黒、藍のブルーなどを使っているそうだ。そういえば絵の具も元々は自然物だった。僕は作品でも衣服でも自然の素材に惹かれるところが大きい。
今回三上さんの、解放された世界を楽しみたい。
もちろん魅力的な陶の作品、茶碗、ぐい呑、片口なども並びます。
三上さんは常々、やきものの表情を大事にされている。僕は特に茶碗が好きですが、ぐい呑の独特なあばれや、片口のきりっとした姿も好きです。
コロナ禍ではありますが、是非箱根に三上さんの「思索の痕跡」を感じに来て下さい。
うつわ菜の花 たかはしたいいち
白磁 黒田泰蔵
白磁 黒田泰蔵
9.18.土〜9.26.日
11時〜17時 定休日22日
入館料500円
黒田泰蔵さんが亡くなってから早5ヶ月が経った。
本当にさみしいものなんですね。
泰蔵さんの白磁の茶碗で1人、飲みたくなる。友人と代わりばんこでお茶をするときも泰蔵さんの茶碗を使いたくなる。
水指には少し揺らいで蓋付きのものや、丸みを帯びた鉢を選びたくなる。伸びやかな梅瓶をじっと眺めていると、心が凛としてくる。不思議です。
今回の展覧会には、2012年国立近代美術館工芸館「現代の座標―工芸をめぐる11の思考」展の円筒を出してみたい。この展覧会が始まって1週間後に、「国宝ができたよ」と持って来て見せてくれたのが、凄い作品だった。手にすると、優しいなぁと思わせるものであった。そして、前年にできた箱根菜の花展示室で展覧会をやりたいと言ってくれた。
その中で一番の作品は泰蔵さんが晩年まで手元に置いていた。
その写真が菜の花文庫「黒田泰蔵 白磁」の表紙を飾っている。
表紙カバーを外して開くと、さらに空気感も伝わりしっとりと美しい。
他の作品に関しては、何点か出品すると思います。円筒6点、梅瓶2点は、益子陶芸美術館で8月31日から始まる「黒田泰蔵白磁の道」に出品しています。
泰蔵さんの作品は、お茶に使うもよし、花を生けなくても花入れとして存在させるもよし。これからも、身近に置いてじっくりと向き合っていきたい。
あなたも泰蔵作品と出会いに来て下さい。
店主 たかはしたいいち
箱根菜の花展示室
箱根町湯本351-2
photo/mitsutoshisugimoto
森善之写真展
2011年に、箱根菜の花展示室オープン企画のポスター写真を撮影してくださった
森さんの写真展
sacred water
入り口を入ると
水の音、水の冷たさを
その場にいるように感じられる
水のすみか
少し暗い展示空間に入ると
光も音も無い暗闇に
仄かに白く浮かび上がる河の流れ
五感を静かに刺激される写真展でした
森さんが発行されている
各県の、日本を取材する冊子
JAPAN GRAPH
現在No9 石川県が最新刊です
森善之写真展 水を撮る
森善之 写真展
sacred water
2021.7.3〜7.11
作家在廊日 3日4日10日11日
7日(水)定休日
11:00〜17:00
入館料500円
古い25年も使われていないビルがあった。
2011年に3.11が起こり、このままでは日本はダメになると思い、自分がやれることを今やろうと一大決心した。それはそのビルを井上有一の展示ができる場にすることだった。
そして、その三ヵ月後には有一の命日に合わせて「井上有一と内田鋼一展」のオープニングにこぎつけた。そのポスターの撮影に内田さんが呼んでくれたカメラマンが森善之さんだった。まだ改装していない、壁や梁を取り壊したままの状態の一角で、有一の書と内田鋼一の陶壺を置いて撮ってもらった。
今回、改めてその写真を見たら、実に良い。「愛」の書が、静かに周りを蘇らせる「愛」だと感じた。
「おれの有一」という、今度出版する本にも、その写真を載せたいと思っている。
ところで森さんの展覧会のテーマは「Sacred聖なる Water水」。
森さんは以前から、渓流が好きで釣りに行っていたそうだ。竿の代わりに川にカメラを持ち込んだのだと言われる。そして日本三大渓谷の一つ大台ヶ原にある大峰山の山岳信仰に魅せられて、源流の一つ、前鬼川に10年も通ったという。
最初は川の水の透明感や何色もの色などを撮っていたが、だんだんと光を通しての水ではなく、水そのものをフィルムで掬い取れないか?と思うようになり、真夜中の星の光しかない川に出かけるようになった。1メートル先も見えない状況で恐怖感もあった。が、一時間いると石の白い処だけが見えてくる。
昼と同じ世界が異質で神聖な処になる。原始的な時間。空間。闇の安らぎ。
水の美しさは精神形成に影響し、水を汚すのは生命体を汚すことと同じ感覚がする。
水は地上と空中を循環しているだけでなく、生命そのものだと感じ始めた。そもそも昔の日本の歌には、川で遊ぶことや川のせせらぎなどが歌われていたが、今では誰も歌わなくなった。
森さんの話を聞いて僕も同感した。以前は水にこだわって菓子作りをしてきたし、今は本当に暮らしの中で水を感じることがないなあと思う。誰もそんなことをいう人がいなくなった。
始めに触れた3.11もそうだし、人間がこの地球に生かされていることを、思い出さなければと思います。
ぜひ森さんの写真を見に来て下さい。
うつわ菜の花 髙橋台一